基本情報

公式な国名 アンゴラ共和国
通称 アンゴラ
大統領 ジョゼ・エドゥアルド・ドス・サントス
副大統領 マヌエル・ドミンゴス・ヴィセンテ
国の記念日 11月11日(独立記念日)
首都 ルアンダ
行政区画 18州
公用語 ポルトガル語
主な言語 ウンブントゥ語、キンブンドゥ語、キコング語、チョクウェ語、
フィオテ語、クワニャマ語およびニェネカ語
人口 2,430万人
人口密度 20人/km2
通貨 クワンザ(kz)
国内総生産 (GDP) 1,310億米ドル(2014年度)
インフレ率 7.3%(2014年度)
GDP実質成長率 4.3%(2014年度)
主な輸出物 石油、ダイヤモンド、木材、水産物、コーヒー、サイザル麻など
主な輸入物 食料品、医薬品、自動車、機械、電気機器、繊維機械など

地理

Mount_LubiriPhoto © EcoTurルビリ山/ウアンボ州

3450b59b3b3596c3ef17494956bed052Photo © JAIMAGENSトゥンダバラ峡谷/ウイラ州

アンゴラは、正式な国名をアンゴラ共和国といい、国土面積は1,246,700平方キロメートルで、アフリカ大陸で7番目に大きな国です。18の州があり、もっとも北に位置するカビンダ州は、間にコンゴ民主共和国の領土を挟んで、飛び地となっています。首都ルアンダの他、ルバンゴ市、ベンゲラ市、ウアンボ市、カビンダ市、ロビト市、ナミベ市、マランジェ市、ソヨ市が主要な都市となっています。

アンゴラは、アフリカ大陸南部大西洋岸、赤道より南に位置し、その国土は、北はコンゴ共和国とコンゴ民主共和国、東はコンゴ民主共和国とザンビア共和国、南はナミビア共和国、西は大西洋に面しています。陸上の国境は、全長4,837kmに及びます。

海岸線は1,650kmあり、主要な港はルアンダ港、ロビト港とナミベ港です。ロビト港には、アンゴラの大西洋岸とコンゴ民主共和国やザンビア共和国とを結ぶベンゲラ鉄道が接続しています。また、これら以外にも、アムボイン港、カビンダ港、ソヨ港があります。さらに、アンゴラで最も大きな河川は全長1,000km以上に及ぶクワンザ川で、国の通貨の名称にもなっています。その他、クバンゴ川、ロンガ川、クイト川、クネネ川、ケーヴェ川、クアンゴ川およびクアンド川も重要な河川です。


気候

アンゴラには二つの季節があります。一つは雨季で、10月から4月にかけての暑い時期です。もう一つは乾季(アンゴラではカシンボと呼びます)で、5月から9月までの時期にあたります。年間平均気温は最高27℃、最低17℃です。

国土は南半球の熱帯収束帯から亜熱帯にかけて広がり、海に近く特有の起伏を有しているため、気候によって二つの地域に分けられます。そのひとつが、年間平均湿度が30%で、平均気温が23℃以上の沿岸部です。

そして、もうひとつの地域である内陸部は、高温多雨である北部、乾季の気温が低い中央高原を含む高地部、ナミブ砂漠に近いために半乾燥地域であり、大陸の熱帯気団の影響を受ける南東部に分類されます。

動植物

333Photo © EcoTurパランカ・ネグラ(レイヨウ科)

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ウェルウィッチア・ミラビリス


アンゴラには五つの植生地域があります。まず、マイオンベのような熱帯雨林。そして、通常ルンダスのような森林に隣接するサヴァンナ。加えて、ルアンダ、バイシャ・デ・カサンジェおよびルンダスの一部に見られる、樹木や低木林のある乾燥サヴァンナ。さらにスンベの南に端を発する帯状の地域の周囲に広がるステップ地域、そして、最南端のごく狭い沿岸地域に見られる砂漠です。

また、さまざまな地方で無数の種類の動物を見ることができます。北部の最も湿潤な地域であるマイオンベの密林では、ゴリラやチンパンジー、さまざまなオウムが棲息しています。中部および東部では、ブッシュバックやブルーダイカー、ゾウが見られます。加えて、さらに乾燥した地域にはスプリングボック、オリックス、ヌー、インパラ、チータ、バッファロー、ゾウ、シマウマ、キリンが現れます。国土全域にほぼ共通する動物としては、ハイエナ、ローンアンテロープ、ライオン、ヒョウ、カバがいます。

密猟と内戦により、アンゴラの自然動物は被害を受けました。しかし、『ノアの方舟プロジェクト』の枠組みによって、アンゴラ国内に以前は存在していたさまざまな動物たちが、他のアフリカ諸国からキサマ国立公園へ移送されました。

人口

2014年9月に実施された国勢調査の暫定データによれば、アンゴラの人口は2,430万人と推定され、その62.3%が都市部に居住しています。最も人の集まるルアンダ州の人口は650万人で、国の全人口の27%に相当します。逆に、最も人の少ないベンゴ州には27万4千人、すなわち人口の1%しか住んでいません。

アンゴラの人口は大半がバントゥー系であり、オヴィンブンド人(37%)、アンブンド人(25%)、バコンゴ人(13%)、チョクウェ人(8%)、混血(2%)、ヨーロッパ人(1%)他、さまざまな民族集団から構成されています。植民地であった名残から、アンゴラのヨーロッパ系人口は、主にポルトガル由来の人々となっています。

宗教

777Photo © JAIMAGENSキリスト像/ウイラ州
アンゴラ国民の大半はキリスト教徒で、カソリックが最大の宗派です。また、相当数の人々が、バプテスト教会、メソディスト教会、会衆派教会など、プロテスタントの信者です。加えて、数はずっと少ないですが、改革派やルーテル派の信者もいます。

さらには、アドベンチスト教会やペンテコステ派など、ブラジルの影響を強く受ける教派も存在します。また、キンバンギスタ教会とトコイスタ教会という、二つの諸教混合主義の宗派があります。アフリカの伝統宗教やイスラム教の信者は少数です。

アンゴラ略史

image023Photo © JAIMAGENS2002年4月4日、アンゴラ内戦の終戦同意書を交換するアンゴラ共和国軍参謀総長アルマンド・ダ・クルズ・ネットと
アンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)参謀総長ジェラルド・アブレウ・カモルテイロ

アンゴラの国土に先史時代から人類が暮らしていたことは、ルンダスやコンゴ、ナミブ砂漠に残る痕跡から知ることができます。しかし、もっと組織化された集団としての人々が住むようになるには、それから何千年も後、原史時代を待たねばなりません。最初に暮らすようになったのは、ブッシュマンでした。

6世紀の初め、すでに金属器時代の技術を持っていた人々が、人類史上最大規模の移動を行いました。彼らはバントゥ系で、北方、恐らくは現在のカメルーン共和国のあたりからやってきました。この人々は、アンゴラの地に落ち着くと、ブッシュマンやその他の技術の未発達なグループに出会い、金属加工や陶器、農業といった分野の技術をもって、容易に優勢を勝ち取りました。アンゴラ全域に広がったバントゥは、より小さな集団にまとまるようになり、現在の民族グループができました。13世紀には、これらの諸グループの幾つかが社会的政治的にまとまり、コンゴ王国などの王国が成立し、一帯は政治社会的に安定するようになりました。

これが、ポルトガル人航海者ディオゴ・カンがザイレ川河口へ到達した際に目の当たりにした1482年の状況でした。その後、ポルトガル人たちとコンゴ王国の支配階級の人々との間には友好関係が結ばれ、交易が盛んに行われました。しかしその関係は、パウロ・ディアス・ノヴァイスが占領を開始し、複数の要塞を建設して沿岸地域を直接統治するようになって、断ち切られました。また、それと並行して、ブラジルでの労働力不足を補うために、奴隷交易が始まったのです。

奴隷交易は18世紀、ベルリン会議が開催されるまで続きました。ポルトガルは、ベルリン会議で合意されたアフリカの分割により、アンゴラ全土の占領と統治のために長い戦いを強いられることになりました。また、1910年の王政の廃止と国際状況の変化は、ポルトガルに新たな変革を迫りました。植民地も国の一部であるとする国家のもと、アンゴラはポルトガルの州(海外州)となります。とはいえ、今日のアンゴラにあたる土地の最終的な境界線と実効支配とは、1921年になるまで達成されませんでした。

当時、アンゴラにおける状況は、外見上は穏やかなものでした。しかし、20世紀半ばになると、最初の民族主義運動が生まれ、この平穏な在り方が問われることになります。1950年代以降は、さらに旗色を明確にした政治団体が結成され、その叫びを組織的に響かせるようになりました。世界中で外交的キャンペーンを行い、アンゴラの独立を求めて闘ったのです。

しかし、宗主国は民族主義運動からの要請に譲ることはなく、1961年2月4日に「民族解放闘争」と呼ばれる直接の武力紛争が勃発しました。この武力紛争には主に、MPLA(アンゴラ解放人民運動)、FNLA(アンゴラ国民解放戦線)、そしてUNITA(アンゴラ全面独立民族同盟)の三つの民族主義組織が参入していました。長い年月に及ぶ闘争の後に、アンゴラは1975年11月11日に独立を達成しました。

アンゴラの独立は平和な時代の始まりではなく、ポルトガルの植民地支配を相手に闘った民族主義組織の間での新たな内戦の始まりでした。しかし、およそ30年間に及んだ内戦を経た2002年4月4日、ついに武器が沈黙し、平和が確立する日がやってきました。以来、アンゴラは、政治的・社会的安定を享受しています。

国の象徴

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国旗

アンゴラ共和国の国旗は1975年、独立宣言時に定められました。背景は二色の横帯から成り、上部の帯は赤色で、下部の帯は黒色です。それぞれは、以下の事柄を象徴しています。

a) 真紅色 – 植民地の圧政下、独立戦争、祖国防衛において流されたアンゴラ人の血
b) 黒色 – アフリカ大陸

中央には、労働者と工業生産のシンボルである歯車の一部、農民と農業生産と武装闘争の象徴である刀、そして国の豊かさを表す星が描かれています。

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共和国の国章

アンゴラ共和国の国章は、歯車の一部と、トウモロコシ・コーヒー・綿の葉から構成されており、それぞれ労働者と工業生産、農民と農業生産を象徴しています。これらの下には、教育・文化を表す開かれた書物と、新たな国を意味する朝日が描かれています。

中央には刀と鍬があり、労働と武力闘争の始まりを表します。その上に見える星は、国際的連帯と発展のシンボルです。国章の最下部は黄金色のリボンで、「アンゴラ共和国」の文字が書かれています。


国歌

「進めアンゴラ」

おお、祖国よ、我らは決して忘れまい
二月四日の英雄たちを
おお、祖国よ、我らは敬意を表す
独立のために倒れた
汝の子どもらに

我らは過去を、自らの歴史を名誉に思う
労働において新たな人間を創り出す歴史を
(この二行繰り返し)

(コーラス)

アンゴラよ、進め!
革命、大衆の力のために!
一つになった祖国、自由
一つの民、一つの国のために!

(コーラス繰り返し)

解き放たれた我らの声をあげよう
アフリカの民の栄光のために
アンゴラの闘士たちよ、進もう
虐げられた人々と連帯して

我らは誇りをもって平和のために闘おう
世界の進歩的な勢力とともに

(この二行繰り返し)

アンゴラと国際社会

国際舞台においてアンゴラは、平和をもたらし地域紛争の解決をめざす事業を、外交チャンネルを中心に紛争を予防し、人権を奨励することにより、強力に後押ししてきています。多国間の枠組みについては、アンゴラは以下のように様々な国際機関・地域機関のメンバーとなっています。

•アフリカ連合
•世界銀行
•ギニア湾委員会
•国際通貨基金
•国際連合
•世界貿易機関
•アフリカ・カリブ海・太平洋諸国グループ
•キンバリープロセス認証制度
•石油輸出国機構
•多数国間投資保証機関
•中部アフリカ諸国経済共同体
•南部アフリカ開発共同体
•米州機構(常任オブザーバー)

経済

アンゴラの経済ポテンシャルは高く、多様性に富み、国内外の実業コミュニティから特別の注目を浴びてきました。アンゴラは、石油・天然ガス・銅・リン酸塩・ダイアモンド・亜鉛・アルミニウム・金・鉄・珪素・ウラン・石英・カリウム・花崗岩・大理石など地下資源が豊富です。

またアンゴラには広大かつ豊穣な土地があり、その気候は多種類の熱帯性ならびに亜熱帯性の作物に適しています。国内を流れる無数の河川は、灌漑を行う大きな可能性とともに、水力発電の高いポテンシャルを示しています。さらにアンゴラは、木材や海産物を豊かに産出する動植物相も有しています。

石油は今のところ、国にとって最大の歳入源です。このことは、原油価格が引き起こすショックに対して経済を脆弱にしています。経済のさらなる多様化をはかり、原油価格の変動に対して抵抗できる国作りをすすめるため、アンゴラ政府は2012年10月、資産50億米ドルでソブリン・ウェルス・ファンド(アンゴラ・ソブリン・ファンド)を開設しました。

この先何年かの間に、アンゴラは一層堅固で成長する経済の国となり、持続的成長と国民の福祉に貢献することが期待されています。

文化

7f3c7343cdb4aba851f754304e7f0253Photo © JAIMAGENSアンゴラ・ナショナル・サッカーチーム

888Photo © JAIMAGENSアンゴラ・ナショナル・バスケットーチーム
(女性)

b7b23819d78352a5e05fdb8085086ae7Photo © JAIMAGENSアンゴラ・ナショナル・バスケットーチーム
(男性)

アンゴラの文化的財産は、さまざまな方面に現れています。伝統工芸では、様々な材料が用いられ、木彫りの像や楽器、儀式舞踏用の仮面、装飾豊かな雑貨、油彩や砂絵などが制作されています。

アンゴラの諸民族グループは、それぞれ多彩な音楽とダンスを誇っており、それが自然に日常生活や社会行動に溶け込んでいます。アンゴラの伝統音楽(センバ、レビータ)や現代音楽(キゾンバ、クドゥーロ、ズーク)はそれぞれの道を歩んでおり、海外でも知られるようになってきました。また、古くから伝わるバトゥッキ(太鼓)、キサンジ(親指ピアノ)やマリンバなどの楽器も、アンゴラの文化的・伝統的財産です。

19世紀半ば頃に登場したアンゴラ文学は、土地に生まれた者たちの伝統を描き、他のポルトガル語による文学とは早くも一線を画す存在として、国境を越えて脚光を浴びるようになりました。1935年には、アンゴラ人作家による最初の小説であるアントニオ・アッシス・ジュニオルの『死したる女の秘密』が刊行され、文学としての成熟を見ています。

50年代にはアゴスティーニョ・ネト、ヴィリアト・ダ・クルス、アントニオ・ジャシントといった人々が登場し、彼らの詩は、ポルトガルによる植民地支配に抵抗し、独立を勝ち取る必要性を、世代を超えた人々の意識に刻み込むにおいて、重要な役割を果たしました。また、それに続く時期には、オスカル・リバス、ルアンディーノ・ヴィエイラ、アルナルド・サントス、ウアニェンガ・シトゥ、マリオ・アントニオといった作家が、アンゴラ人であるからこその在り方、考え方、行動を文字によって表すための言語を再創造し、アンゴラ人のアイデンティティの拡散と確立に貢献しています。

食文化については、アンゴラでは各民族集団が独自の伝統料理を持っていますが、もっともよく使われる共通の材料は、キャッサバ、トウモロコシ、ヤマイモ、ジャガイモ、サツマイモ、葉野菜、魚類、貝類および肉類です。アンゴラはポルトガルの植民地であったため、その食生活にもポルトガルの影響が見られます。

アンゴラの典型的な一品料理のひとつがフンジ。これはキャッサバもしくはトウモロコシの粉から作るペーストで、一般にキザカ(キャッサバの葉を煮て味付けしたもの)や豆のパーム油煮、鶏のムワンバ(鶏肉、落花生、オクラなどを煮込んだもの)、カルルー(干し魚と生魚あるいは肉、パーム油、野菜の煮物)などとともに食べます。

アンゴラ人はみな、スポーツの熱心な愛好家です。最も人気のあるスポーツはサッカーで、これにバスケットボール、ハンドボール、ローラーホッケーが続きます。サッカーのアンゴラ代表は、2006年ドイツで、初めてワールドカップ本大会に出場しました。また、これまで参加した18回のバスケットボールアフリカ選手権(1980年〜2013年)では、男子代表チームが、金(11)、銀(2)、銅(3)を獲得する成果を上げています。一方、女子代表チームも大会に15回参加しており(1981年〜2013年)、金(2)、銀(5)の結果を出しました。いずれのチームも、2013年の大会では優勝を飾りました。

最近アンゴラで開催された主な国際スポーツ・イベントには、2010年のサッカーアフリカ選手権と2013年のローラーホッケー世界選手権があります。


観光

16b53d650adc7078c038266dfdfc7448Photo © JAIMAGENSカランドゥーラ滝/マランジェ州

381b1d1328c6e0048b521cede607363aPhoto © JAIMAGENSレバ山脈/ウイラ州


アンゴラには、友好的でもてなしの心を持った国民がおり、変化に富んだ風景、ダイナミックで見る人の心を掴む文化があります。訪れて知る価値のある国です。観光面におけるアンゴラは、まだこれから発見されようとしている大きな魅力を秘めた、カットする前のダイヤモンドであると言えるでしょう。

アンゴラでは、滝や河、湖、ビーチ、山々、砂漠、窪地や洞窟、岩石組成など、様々な自然の風景が見られ、いずれも多様な観光・レジャーのアクティヴィティに向いています。国内には六カ所の国立公園、四つの部分自然保護区と二つの完全自然保護区があり、ジャイアントセーブルアンチロープ(動物)やウェルウィッチア(植物)といった固有種が棲息しています。

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キコンボ川/クワンザ・スル州

0af3e6d32acf50110ef3b524287b5eb7Photo © JAIMAGENSプンニャンドンゴのブラックストーン
/マランジェ州

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サッサ洞窟/クワンザ・スル州